ここだけの話

今から歌うことここだけの話にしておいてね

退屈しのぎ

教師っていうのは教壇に立った瞬間からすべての行動言動に意味がないといけない、と言った実習の指導教員の言葉を思い出して、それなら教師はやっぱり自分じゃない自分になる職業なんだなと思った。演技みたいな、でも全部がそうなわけじゃなくて、限りなく自分に近い他の誰か、というか、自分の理想に限りなく近い誰かに常になり続けなくちゃいけない、でもそれと同時に常になり続けていても合法に許されるような職業なんだなと思った。そう思ったら少しこんな出来損ないのわたしでも目指すことができるんじゃないかって思えて、救いになった。

 

高校生の時、別に誰にも言わないけど、なんで生きてるんだろうとか、この世界ってどうなってるんだろうねみたいなことを考えてしまう、って言っていた男の友達がちょっと羨ましいなと思ったりしたことを思い出した、わたしはたぶんその気持ちが少しだけわかって、でもその人みたいに振り切って深く深く入っていけるような感覚は持ち合わせていなくて、すぐに現実に適応して何も考えないように誤魔化しながら自然に生きていくことができるから、そうやって楽観的に生きていけることは恵まれていることでもあるとは思うけど、君みたいな人のことが少し羨ましいなと思った。

自分の中に生まれた必要性に駆られて、何かを知ろうとして、たくさん知っていたくて深く深く入っていける人は、私が出会った中でほとんど皆、何かを極めたり自信を持って言葉を放つことができる人な気がしているから、かっこいいと思う、と同時に、自分の確固たる意志でそれができたことが無いわたしにとてつもない劣等感と失望を感じる、わたしはいろいろなことをやりながら何かにとことん集中したり、何かと同時並行でやって極めましたと言えるほどの頭の回転の速さや賢さや器用さを持ち合わせていないから、人生のどこかの時点で、なにか一つのことに深く深く入っていけるような時間があるのだろうか、それともとんでもない必要性に駆られて、何かを深く考えることが毎日の日課のようになる日が来るのだろうか、そういう日が来ればいいのにと思いながら、今持っているもののどれかを捨てれば、その空いた時間を違うものに変えられるんじゃないか、とかいうふうに願っている。でも願っている時点で永遠に来ないことも分かっている。すぐに目の前に予定を置いてそれだけを見て逃げるように毎日を過ごしている限り何も起こらない。ちゃんと分かっているけどわたしに何かを深く深く考えたことで何かを得られるだけの能力があるのか自信もない。でもただどこかの瞬間で、そういう時間がほしいし無ければならないと思っている。それを経なければ何者にもなれない気がしてる。私は私によって何も決められない人になってしまうと思う。

 

ノエルギャラガーとかトムヨークとか全然知らないけど、ユーリカ、渦になるの頃の佐藤千亜妃とか、一体何を考えて毎日過ごしていたんだろう、一体何を考えて曲を作っていたんだろう、誰かと一緒にいたことや誰かのことを本気で嫌いになったことや好きになったことややるせないことや虚無感とか、ぎりぎりになりながらそれを絞り出すみたいに曲にしていたんだろうか、それともごく自然に息をするみたいにそういったもの全てを曲にして吐き出すことができるのだろうか。自分の中の信じられないところとか殺したいくらい嫌いなところとか何にも代えられないくらい好きなところとか、大事にできないくせに大事な人のこととかもし曲をつくる才能があれば全部吐き出せるのになあ 

 

今度はもっとうまく歌えるから、早くライブがしたい。今度はもっと全身全霊で曲に入ってゆけるから、私は私でない理想の誰かを演じることができると思うから、早くライブがしたい。