ここだけの話

今から歌うことここだけの話にしておいてね

好きな曲の超オススメポイント書くだけ

前回の記事、ほんとはそっと置いておいて、気ままに覗いた人がたまたま発見するくらいの文章にしておくはずでした。でも一日寝かしたらせっかく書いたものなんだから見てもらわなきゃ報われねえ…と気が変わったのでエイヤッとツイッターに貼り付けてみたら、思っていた100倍くらいの人に見てもらえて、ラインやDM、リプ等でたくさん感想もらって、本当に文章というのは誰かに読んでもらってはじめて価値があるんだなあと思いました。同じような経験をして、共感した、ということをわざわざ伝えてくれる人も何人かいて、しんどいことを思い出させてしまったかもしれないという申し訳無さはあったけど、誰かと哀しさや辛さの経験や、それで感じたことを共有して、自分だけじゃないということが知れるだけでも、とてもわたしにとっては心が救われることでした。文章を書いて、文章を表に出して良かったなあと、それだけで本当に思えました。ありがとうございました。





でもあの記事の冒頭にも書いたように、わたしはあの出来事を文章を書くことのきっかけにしただけでありまして、これから書いていく文章はたぶんあんなに重量があるものではないと思います。文章量だけじゃなくて、内容の重さのことです。あの文章を想定外にいろいろな人に見てもらえたおかげで、あれより頑張って文章を書かなければならないような気がして怖いけど、あれはわたしが経験と感情がとてもタイムリーに合わさって書けた文章なので、あれ以上のものを書けるつもりはさらさらありません。だからまた思ったことを脊髄反射で吐くツイッターのように、書きたいと思ったときにつらつら書きたいと思います。誰かに見てもらうことにするのかは、その後決めることにします。たぶんこの調子でいくと恥ずかしくなって全消し黒歴史になることが予想されるので…。



それでも、見て見て!って書いた本人が言ってみんなに見てもらえるのは恥ずかしいけど、そっと置いておいたものが読まれて、読んだよ!と言ってもらえることはやはり嬉しいので、そんなふうにあれたらいいなと思います。期待しないで読んでもらえたら嬉しいですということです。言い訳がましくてごめんなさい。











前置きが長かったんですけど、実習がまさかの台風で一日さよならしてしまったおかげで、明日早く起きなくても良くなってハッピー、お酒を飲んで音楽を聴いて過ごすぞ!となったので、わたしの好きな音楽の話をしたいと思います。





わたしは小学校5年生のときの当時イケイケだった女の子の友達に、流行りの曲を月1くらいでCD-ROMに焼いてもらっていたのですが、それが音楽を好きになるきっかけだったなーと思います。今思えば多分YOUTUBEからmp3 でDLして焼いてた音源だったと思うので(詳しくは知らないですけど音質とかMVの最初の部分の音も入ってたことから推測するに)、完全に違法だったんだろうなと思いますが…。それから親にウォークマンを買ってもらって、もっとたくさん聴くようになりました。実家から走って1分のところにあるゲオの、新作と書いたコーナーのCDを片っ端からランキング順に借りていっていた小学校終盤時代。レンタル半額のタイミングを狙ってお年玉を消費してました。今もゲオには半年に一回ほどCDを爆借りに行くのですが、たぶん本当にその近所のゲオに使ったお金の総額はちょっといいギター一本買えるかもしれないくらいだと思うので、考えたくないです。

と言っても、2010〜12あたりの邦楽ランキングに連なっている音楽なんて似たジャンルのものばかりなので、当然聴く音楽や好きになる音楽は偏りまくっていました。わたしがそれから中学卒業辺りまで永遠に聴いていたのが絢香でした。絢香が活動休止して悲しみに暮れて、寂しさを紛らわすように同時進行でボーカロイドにハマりました。



今聴いているのはけっこう邦楽のバンドが多いんですけど、そうなったのも高校の友達や大学の軽音の人たちにジャンルを広げてもらったおかげです。

高校の時にRADWIMPSを好きになって、そればっかり聴いていました。初めて聴いたのは、中学2年の時に担任かつ部活の顧問の先生だった人にお勧めされて、CDを借りたときだったんですが(確か『絶体絶命』)、「何だこの人らの歌旋律ないやん……何言ってるかわからん…」が最初の感想だったと思います。何故か高校になって突然よさがわかり、狂ったように聴きました。

チャットモンチーも高校の友達に教えてもらった気がします。「真夜中遊園地」と「片道切符」という歌が好きやねん、と聞いて聴いてみたら、気づいたら一番好きなバンドになっていました。

それから、高校のとき好きなweb小説の作家さんに出会って、崇拝するようにネトストしてたら、その方がYUKIを好きでよく曲をイメージして小説を書いていると知り、YUKIも狂ったように聴くようになりました。それが派生してJUDY AND MARYも好きになりました。

大学に入ってからはhump backというバンドや、きのこ帝国というバンドにも出会って、自分の気持ちを満たしてくれるバンドがたくさん増えました。



なんで突然自分の音楽歴史とか好きなバンド語りになったんやろうという感じなんですが、あんまり考えずに文章を書くと決めているのでこれでいいのです。



それでは、ここでわたしの好きな曲のここがいいコーナーをしたいと思います。好きな曲なんぞ星の数ほどあるのですが、今から上げる好きな曲の基準は「突然その曲を一曲リピートで聴くことしか体が受け付けなくなった」状態になったことがあるかどうかです。それではどうぞ。







シザースタンド / RADWIMPS

シザースタンド

シザースタンド



これは今も定期的に「一曲リピート状態」に陥ります。この曲を聴いているときは何もしなくてもよくて、自分のすべてを諦めていても許されるような、退廃的な感じがとても好きです。歌詞が好きとかじゃないんですけど、音が気持ちいいです。





お風呂上がりの / RADWIMPS

お風呂あがりの

お風呂あがりの



またRADWIMPSなんですけど、これもアコギとカホンとが気持ちよく落ち着かせてくれて、「一曲リピート状態」になります。

「ああ 美味しいカレーが 食べたいな」だとか、「ああ 美しい映画が 観たいな」だとか、

「お腹も眠気もいやらしさも ひと通りは満たしたあとで 襲ってくるあの寂しさはなに この世の何も満たせないとばかりに」

「遊ぶように生きれたらいいのにな そうやって僕らは来たけど 遊ぶにもコツがいるってことを わかり始めた僕たちは」

この曲は歌詞がとても好きです。放心しながら脱力して聴きます。主にお風呂に浸かりながら。





たしかなこと / 絢香

たしかなこと

たしかなこと



言わずとしれた小田和正の曲の絢香バーなんですけど、あんまりによすぎて、永遠に聴いていられます。こんなに聴いてしまうのはきっと原曲が良いせいなんだ、と思って小田和正のCDも借りて聴いたんですけど、やっぱり絢香の声でカバーされたのが一番好きなんですよね。「自分のこと 大切にして 誰かのことそっと 想うみたいに」って歌詞を、めちゃくちゃ丁寧に歌う繊細な声とか、泣けてくるんですよね。

あと「いちばん大切なことは 特別なことではなく ありふれた日々の中で君を 今の気持ちのまゝで 見つめていること」っていう歌詞よすぎですよね





CAT WALK / チャットモンチー

CAT WALK

CAT WALK



チャットモンチーは基本的に好きですけど、なんか「一曲リピート状態」になる曲に選ばれるためには「どんな精神状態でも受け入れられる曲」であることは必須事項なんです。チャットモンチーはその点明るい気分のときしか聴けない曲もあってシャッフルで聴くと大変なのですが、CAT WALKは本当にふとした瞬間にこの曲が頭の中に流れてきます。そんで今すぐに聴きたいとなります。

「でも誰かに残った思い出は生き続けるよ でも誰かに残った思い出はきっと生き続けるよ」って、深すぎますよね。





やさしさ / チャットモンチー

やさしさ

やさしさ



この曲も、ぜんぶ駄目だ、という精神状態になったときに聴くとゆるされた気分になれます。

「明日ダメでも 明後日ダメダメでも 私を許して それがやさしさでしょう」

そんな気持ちで誰かわたしに接してくれ、それが無理ならせめてわたしはわたしにそう接したい、と思います。





世界が終わる夜に / チャットモンチー



この曲は冒頭のギターソロとドラムのどんどんたん!だけでもう好きです。最初から最後まで絶望的な感じが好きです。頑張らなくてもいい気持ちになります。

「わたしが神様だったら こんな世界は作らなかった 愛という名のお守りは 結局からっぽだったんだ」





春夏秋 / チャットモンチー

春夏秋

春夏秋



この曲も最初のドラムのどんどんどん!だけで好きです。そんな曲ばっかりか。チャットモンチーはこうやって挙げてみると、思ったより「一曲リピート状態」に適した曲が多いですね。紹介した曲ばっかりでシャッフル組んでもらったらめっちゃ素敵な夜を過ごせますので是非。ちなみにこの曲はPVを後出しで見て仰天しました。曲は鬱ですけどPVは鬱じゃないように見せかけた鬱なのでびっくりです。

「短い命の花びらがきれいだ」からの、たたみかけるみたいな「あなたを忘れる時間がない」の連呼がしんどいです。でもそれがいい。





愛捨てた / チャットモンチー

愛捨てた

愛捨てた



チャットモンチーばっかりですけどいいですか。いいですよね。

この曲は歌い出しから好き、となります。それからサビでもう一度好き、となります。メロディラインが天才だなってなります。あ、でもこれは一曲リピートはできないですね…なんかこう強すぎて…曲が…3回聴いてしばらく満足します。どうしよう。でもやっぱりどさくさに紛れてお勧めしたいので、消さずに置いておきます。

「こんなに悲しい夜でさえ やっぱりお腹は空くのだから 私は まだ 人を好きになるのでしょうか」

くみこん天才だなあ。





他にもチャットモンチーの紹介したい曲めっちゃあるんですけど、「一曲リピート状態」になるタイプの好きな曲を紹介するという趣旨から離れていってしまうので、この辺にしときます。

ただ上の選曲見ていただいたらわかると思うんですけど、わたし「告白」「生命力」「表情(カップリング集)」っていうアルバムばっかり聴いてるんですよね。ほんとうにいい曲多くて。全部好きです。だからこの3つだけでも是非聴いてください。いやもうおすすめするまでもなく売れてるんですけど。なんなら曲名眺めるだけでもいいので。是非聴いてください。



告白

告白

生命力

生命力

表情<Coupling Collection>

表情







風化する教室 / きのこ帝国

風化する教室

風化する教室

  • きのこ帝国
  • ロック
  • ¥200



正直きのこ帝国はいつ如何なるときに聴いてもシャッフルでいけるみたいなところはあります。どの曲でも一曲リピートに適している。あと季節によっても左右される。例えば、夏の夜はどうやっても「夏の夜の街」を聴きたい。でもその中でもよりすぐりのいつでも聴ける万能リピート曲(主観)の一曲がこれです。

こころが落ち着きます。寂しかったり静寂の中にいても、それが普通だと思えます。

「記憶は想い通り風化する 窓際で、きみは外ばかりみていた」

「深海のね 魚たちは 浅瀬ではね 死んでしまうの」





名前を呼んで / きのこ帝国

名前を呼んで

名前を呼んで

  • きのこ帝国
  • ロック
  • ¥250



これもRADWIMPSシザースタンドとかと似たような括りです、わたしの中で。大事なものにずたずたにされたい気分のときにリピートして聴いています。大事なものを大事にしたいときもリピートして聴いています。

この曲は歌詞のどこを取り出したらいいかわからないくらい、全部の歌詞が好きです。たぶん歌詞を全文見てもらったほうが早いです。

http://j-lyric.net/artist/a059505/l03846e.html





ばらの花 / くるり



くるり好きな人からしたら何言ってんの?定番すぎでは?という感じだと思うのですが、私はこの方向の音楽を聴き出したのが大学で偉大なる先輩方に出逢ってからなので、こんなに明るいのに、心地良くて、ずっと聴いていられるというジャンルが初めてなので許してください。

その先輩方が仰ってたんですけど、くるりもどんな時もシャッフルでずっと聴いてられるんですよね。きのこ帝国とは違っていい方向 で気持ち的に受け入れやすいんですよね。心地いいです、なんでだろう。

「雨降りの朝で 今日も会えないや 何となく でも少しほっとして」

「安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」





赤黄色の金木犀 / フジファブリック

赤黄色の金木犀

赤黄色の金木犀

すみません、くるり繋がりで言わずとしれた名曲なんですけど、フジファブリックはこれがいちばん「今どうしてもこれが聴きたい」となることが多いです。若者のすべてよりも多いです。今くらいの季節一番聴きたくなります。そして絶対に泣きます。

「赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって 何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道」

全文好きでどこを引用したらいいか分からなかったので、サビで。





戦争を知らない大人たち / My Hair is Bad

ここにきてマイヘアという感じなんですがこの曲と卒業だけを一ヶ月くらい一曲リピートで聴いていた時期がありました。めっちゃ好きです。今どきの流行りの男声バンド、見分けつかないのと陽のオーラがきつすぎて苦手なんですが、この人らだけはするりと受け入れられます。メンヘラだからですかね。





首なし閑古鳥 / 米津玄師

首なし閑古鳥

首なし閑古鳥

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥250



わたしはちょうど全盛期にボーカロイドが好きだったので、米津玄師は「ハチさんが自分の声でデビュー」っていうイメージのほうが強いのですが、アルバム一枚目と二枚目が最強に好きで、ずっと聴いていました。その中でも一枚目に入っているこの曲は、意味わからない歌詞の中にやさしさがあって特に好きです。

「なんとも歪な 形で生まれて 為す術なんてなかったけど あなたによく似た 心があるのさ それさえ確かであればいい」





眼福 / 米津玄師

眼福

眼福

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥250



これも米津さんの二枚目のアルバムなんですけど、めちゃくちゃやさしい歌です。シザースタンドに似た雰囲気のタイプで好きです。

「きっとあなたと私はいつまでも一緒にいられない 何か食べようか ここで話をしようか」

「望むのは簡単だ あなたのいる未来が ただこの目に映るくらいでいい 私はそれで眼福さ」



米津さんの3枚目以降のアルバムは、なんか無理になってしまってちゃんと聴けてないです。きらきらした陽の成分が多くなってしまった。あ、でもLOSERは米津さんのダンスが格好良くて好きでした。





朱色の砂浜 / みきとP feat.あり

朱色の砂浜 feat.GUMI

朱色の砂浜 feat.GUMI

  • みきとP
  • アニメ
  • ¥250



米津さんつながりで。わたしはボーカロイドを曲をP(曲作った人)ごとに聴くタイプなんですけど、その中でもみきとPの作る曲が全部好きでした。特に朱色の砂浜は、冒頭のギターのカッティングが好きすぎて永遠にリピート再生で聴いてました。GUMIのもいいんですけど、ありさんという人が歌ったバージョンがとても好きです。みきとPの曲は他にも刹那プラスとか、心臓デモクラシーとか、この頃の曲はだいたいカラオケで歌えるなあ。





different ways / Superfly

Different Ways

Different Ways

  • Superfly
  • ロック
  • ¥250



Superflyも、激しいイメージの曲多いんですけど、この曲はめちゃくちゃ定期的に「一曲リピート状態」になります。遠い故郷に帰っていくときみたいな哀愁があります。でもちゃんと恋愛の歌です。この曲のイントロがどうしても聴きたいときがある。

「散らばった愛にはきっと 行くあてがあるのでしょう でもね 息もできないくらい 涙ながれるのは何故」





汽車に乗って / YUKI

汽車に乗って

汽車に乗って



YUKIも基本的に陽の成分が強くて、あまりしんどいときは聞けないのですが、この曲はとてもおっとりしていて心地よいです。ガタンゴトン、っていう汽車の音をイントロに入れちゃうという自由さ。幻想的で不思議な音が、何者でもない気分でいさせてくれます。ほんと落ち着く。

「待ち合わせは夕日が丘 アカシアの遠い木陰 きみは小さな白い花びらを髪につけて」

「もしあの日に帰れるのならば おもいきり抱きしめようか 夢の場所へ揺られながら 汽車に乗って」

YUKIちゃんの曲は日本語がうつくしくて、うっとりします。





相思相愛 / YUKI

相思相愛

相思相愛



これはさっきのYUKIの曲や、なんなら今までのとは全く違う方面で「一曲リピート状態」になる曲です。イントロのジャカジャカしたギターやらピアノやらの混ざった音が天才的に好きで、無理してなくて、これを聴いたらいつでも明るい気持ちに切り替えられる気がします。本当に好きです。

「君を愛している 僕はいつも泣きそうだ」

「相思相愛の理想形は えぐっても暴いても美しい詩だったよ そう思うだろう?」

「そのキスが教えてくれる 僕はいつも最強だ」







COZMIC TRAVEL / SOUL'd OUT

COZMIC TRAVEL

COZMIC TRAVEL

  • SOUL'd OUT
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥250



先程の相思相愛に続いて、また180°違った方向で「一曲リピート状態」になる曲その2です。圧倒的にこのリズムの中毒になります。わたしはその界隈には全く知見が無いんですけど、ラップ?がめちゃくちゃかっこいいです。3回くらい聴いたら戻れなくなります。なんでこの曲に出会ったのかは忘れました。















お酒飲みながら無我夢中で書いてたら投稿できないくらいの文字量の多さになりました。なんでだよ。暇と心の余裕って凄いですね。

結局今回のおすすめしたい曲の定義がよくわからなくなったんですけど、気分が沈んでても永遠に垂れ流して聴ける、たまたま流れてきた曲が「うわッ明るい、今の私には受け入れられない、無理だ」とならない曲をおすすめしてる感じになりました。そんな気持ちの時ありませんか。わたしはめちゃくちゃあります。そして「一曲リピート状態」を通り過ぎるとスコーンと元気になれます。単純なので。

わたしは曲を聴くとき、わりと歌詞先行で聴いちゃうんですけど、本当に日本語的にも素敵な曲ばっかりなのでよかったら歌詞ググりながら聴いてみてください。iTunesしかリンクつけなくてすみません。Youtubeにもある曲あるのでぜひ検索を。





とりあえず一旦これで終わります。また恥ずかしくならなければ一人語りさせてください。

おじいちゃんについて

前々からなにか文章にして残すことをしてみたいと思っていたのだけれど、きっかけがなかったのでツイッターという媒体でしかそういうことをする機会がなかった。

でも今日ずっと一緒に住んでいた母方の祖父の葬儀が終わって、その後何気なく見ていたいつもネトストしてるツイッターアカウントのはてブロにたまたま、同じようにおじいちゃんが死んだことを記事にしているのを見つけて、なんかの縁かもしれない、とぼんやり思ったので、平成最後の8月も終わるし、一区切りだし、私も少しずついろんなことを始めてみようかなと思う。まあ、すぐに飽きて存在を忘れるのかもしれないんですけど。

 

 

 

わたしは小学二年生のときに今の家に越してきて、それからずっと父母妹と、母方のおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしてきた。

二世帯住宅のせいで、中学に上がってから友達を家に呼んだりすることはほとんどしたことがないし、ゆっくり人と電話できるような自分の部屋もないけど(ちゃんとした仕切りがなく会話が筒抜けだし、夜中に電話すると煩いと怒られる)、家に帰ったら絶対に誰かがいて、世話焼きのおばあちゃんかお母さんが必ずご飯を用意してくれていて、家族に関して寂しいと感じることは今までいちどもなかった。高校や大学に上がって、いろんな家庭環境の友達と出会って、すっごくこれって恵まれてることなんだろうな、と思うようになった。

 

おじいちゃんは元気なとき、わがままで口うるさくて、テレビを見てたら絶対に出ている芸能人の悪口ばかり言うので、「うるさい!ちょっとはだまっとり!」と叱るおばあちゃんとよく喧嘩していた。お酒とたばこも大好きだった。でも知識人で、テレビのクイズ番組で出題される雑学や政治関連の問題にさらっと答えたりしていて、賢いんだなあって思っていた。わたしはあまり自分からおじいちゃんに関わりに行くことはなかった。でもたまに用があって二階のおじいちゃんの部屋に入ったら、たばこの匂いと一緒に、おじいちゃんは孫のわたしをやさしく迎えてくれた。

 

おじいちゃんは去年の暮れくらいに怪我をしてあまり歩けなくなってから、認知症が進んできて、ここ数ヶ月は特に大変だった。おじいちゃんの部屋を二階の大きい方の部屋と交代して、ベッドを置き、自宅介護のように生活するようになった。

おばあちゃんは毎日病院やケアセンターを往復しながら、おじいちゃんのわがままに文句を言いながら、でも当然のようにおじいちゃんの世話をしていた。二階でおじいちゃんが風呂に入りたくないと怒鳴る声と、おばあちゃんのきいきい声が家の中に響き渡ることも毎日のようにあった。そのたびにお母さんはため息をついて二階に上がっていった。わたしはいやだなあ、と思いながら、イヤホンをして何も聞こえないようにしていた。

 

今から一ヶ月ほど前のある日、授業が全休だったので、平日の昼間におばあちゃんとわたしとおじいちゃんの3人しか家にいない日があった。一階の自分の部屋で作業していたら、おばあちゃんがニ階から助けて!と叫ぶのが聞こえた。何事かと思って向かったら、介護用のベッドからおじいちゃんの上半身が転げ落ちていた。「おばあちゃんではあげられへんから、あんた、ベッドに上げたげて。あんたできる?」と、少し動転しながら半分泣きそうな声で言うおばあちゃんに、大丈夫やから、と冷静に声をかけて、呆然とした顔をしているおじいちゃんを抱き上げてベッドに戻した。おじいちゃんがほとんど二階のみで生活するようになってから、顔を見るのも久しぶりだったから、あんまりに華奢で、細くて白くて、呆けたおじいちゃんをちゃんと見たのも初めてで、わたしは直視できなかった。抱き上げたときもあんまりに軽くて、おじいちゃんの目線はわたしに合わないまま「おおこわい、こわい、落ちる、」を連呼するだけで、本当にこの人があのおじいちゃんと同じ人なのかと思った。抱き上げて戻したあと、そそくさと一階に戻って、何もなかったように過ごした。どんどん弱っていっているおじいちゃんを受け入れるのが怖かった。その2週間くらい後、おじいちゃんは近所の大きな病院に入院することになった。

 

 

おじいちゃんもう長くないかもしれん。とお母さんから聞いて、数日後に、本屋でバイトをしていたら、「もう今日明日であかんかもしれんらしい、今すぐ病院にきて」と電話がかかってきた。夜の9時頃だったから、一旦家に戻ってタクシーで急いで病院に向かった。その間、わたしはおじいちゃんになんて声をかけよう、最後に伝えるべきことって何なんだろう、ありがとうと言うべきなのかな、とか考えながら、どぎまぎ過ごした。病室に着くと、管にたくさん繋がれたおじいちゃんが、肩で息をしながら寝ていた。お母さんの妹も車で一時間半かけて飛んで来て、家族大集合になった。おばあちゃんがみんな来たよ、と声をかけたら、おじいちゃんはパッと目を開けて、ちゃんとわたし達一人一人を見た。なんて声かけたらいいかわからなくて、遠くから見ていたら、お母さんやおばあちゃんやお父さんが、「〇〇(名前)やで。ちゃんとここにいるで。あともうちょっと頑張り。」と手を握ったりほっぺたに触ったりしながら笑顔で声をかけていて、こういう時どうしたらいいか、大人はちゃんと分かっているんだなあ、とぼんやり思った。それから、ありがとう、なんていう言葉は、この場には全然適切じゃないなと思った。わたしと妹も促されて、わたしはおじいちゃんに「〇〇やで。おじいちゃん、わかる?ここにいるよ」と声を掛けた。おじいちゃんは、その時意識がしっかりしていて、みんなにああ、〇〇か、とちゃんと返事をしていたけど、わたし達を見て、「当たり前や、わかるわ、大事な大事な…」と言った。それから目の端から涙を流して、わたしたちの方に手を差し伸べようとした。大事な大事な、孫やねんから、と続くことがわたしにも妹にも分かって、妹もわたしも無言で泣いていた。おじいちゃんの手には、管を引き抜かないようにカバーようなものがはめられていて、自由に動かなかったけど、わたしたちはその上からしっかり手を握った。おじいちゃんはその後、眠ったり起きたりを繰り返した。

2時間ほどそうやって家族で過ごしていて、お母さんは「子どもらとお父さんは、明日朝も早いからもう帰りなさい。」と言った。妹は泣いて首を振ったけど、「明日も会えるから、な」と言われ、渋々頷いた。明日も会えるかどうかは、全然確実じゃないことはみんな分かっていた。おばあちゃんが「〇〇(私の名前)らもう帰らはるしなあ、」と声をかけると、おじいちゃんはまたパッと目を覚まして、「そうか、お母さんの言うとおりにしい、」と言った。それから起き上がって見送ろうとした。久しぶりにこんなによく喋って元気なおじいちゃんを見たというほど、おじいちゃんはしっかりしていた。ほなまた来るからね、と声を掛けて、もう最後になるかもしれないおじいちゃんの顔をしっかり見て、うちへ帰った。

 

その日の夜中3時、おばあちゃんやお母さん、伯母さんに見守られて、眠りながらおじいちゃんは亡くなった。私はそれを、朝ゆっくり眠って起きてからお母さんに聞いた。数時間前まであんなに元気やったのに、それからこっくり眠らはって、苦しまずにすっと死なはったわ。入院する直前までお酒も飲んで、お菓子食べて、好きなようにしてはったし、いっぱいの家族に見守られて死なはったから、きっと幸せやったやろな、と、おばあちゃんは笑っていた。

 

 

お葬式は親族だけで行った。わたしは喪主側でお葬式に参列したことがなかったから、いろんなことすべてが初めての経験だった。お母さんやおばあちゃんが、東京や名古屋に住む親族に一人一人電話を掛けて、お葬式の連絡をしていた。わたしはなんだかそれがとてもこの時代に不釣り合いな光景に見えた。

当日は、高齢の親族が多いから無理をしないように言っていたにもかかわらず、結構たくさんの人が遠くからお葬式に来てくれた。昔の家なので、おばあちゃんもお父さんも兄弟が7人ほど居るというのは聞いたことがあったけど、実はおじいちゃんにも7人居るらしくて、そのお陰でちょっとした兄弟の同窓会みたいな、にぎやかなお葬式になった。

わたしは兄弟と話すおばあちゃんやお父さんを見て、家族の知らない一面をちょっとこそばゆく感じながら、挨拶に回るお母さんの所作を真似て、全然知らないたくさんの親族と世間話をした。わたしは全然顔も名前も覚えてないのに、おばちゃんたちはわたしの名前を知っていて、こんなに小ちゃかったのに大きくなって〜!と、可愛がってくれた。

 

 

棺の中のおじいちゃんは、お化粧もして、とてもとても綺麗だった。すこし笑っていて、全然苦しそうじゃなくて、今にも喋りだしそうだった。若い時、すっごくイケメンやったんやで、と、伯母さんが笑いながら言っていて、確かに面影があるかもしれないと思った。

 

 

おじいちゃんのことを、わたしは本当に何も知らなかったと、葬儀をして初めて知った。名古屋のけっこう大きなお家の、長男だったこと。すごく顔がそっくりな弟がいること。おばあちゃんが嬉しそうに、生前おじいちゃんが言っていた冗談の数々を話しているのも聞いた。昔から冗談が好きだったものね、と兄弟のおばちゃんが笑っていて、わたしが知っているおじいちゃんは、ほんとうにほんの一部だったんだなと思った。

わたしがまだ赤ん坊の頃、親族で集まったときも、他のおばちゃんたちを差し置いて、おじいちゃんはわたしを抱っこして離さなかったらしい。そんな話も、おじいちゃんとは一度もしなかった。一緒に住んでいるのに、ろくにちゃんと話さなかった。おじいちゃんのことを嫌いだと思ったことは一度もない。けど、おじいちゃんと二人だけで時間を共有した記憶は、あまりにも少なかった。

 

 

喪主、と書いた花の札をつけたおばあちゃんや、式のほとんどを仕切っていたお母さんは、いろんな人と笑顔で話して、ばたばたとずっと忙しそうだった。しくしく泣いている顔を全然見なかった。けど、最後に棺に献花する時と、火葬する時だけ、目を赤くして静かに泣いていた。おばあちゃんもお母さんも、強いなと思った。

 

 

近い親族が亡くなるのは初めてだったから、火葬場にも初めて入った。おじいちゃんがお骨になって出てきたとき、けっこうショッキングな光景で、言葉が出なかったけど、おじいちゃんの喉仏や、大きい耳や、手術して脚に埋まっていた金属の補助器具がしっかり残っていて、ちゃんとおじいちゃんなんだと思った。

ひとつひとつ拾って、骨壷に収めているうちに、愛おしい気持ちが湧き上がった。外から見る骨壷は、得体のしれない怖いものだったけど、今こうしてちゃんと、その人の生きた跡が収まっている骨壷を見ると、しっかり胸に抱いて持って帰ることができた。

 

 

式場でさいごの念仏を聞きながら、わたしは自分の未来のことを考えていた。おじいちゃんの兄弟と、その子どもと、そのお嫁さんと、さらにその子どもが沢山集まって、おじいちゃんの死を悲しんでくれていた。おじいちゃんの血筋に直接関係ないはずの、おばあちゃんの兄弟や、わたしのお父さんの兄弟の、子どもや、その奥さんも、一緒になって悲しんでくれていた。自分が想像していた以上に、わたしの家には家系のつながりがたくさんあって、家族ひとりの死で悲しんでくれる人はこんなにも沢山いたことに、驚いた。厳かささえも感じた。それから、結婚して家庭を築くことは、こんな壮大なつながりをたくさん生むんだな、と思った。全く関係がなかった人たちが、結婚という約束を経て親族になって、友達よりも優先して死を弔う人に選ばれるほど、強い繋がりになるんだなと思った。

もちろん、わたしの家は他と比べて親族に兄弟も多いし、古いしきたりが残っている方だと思う。これからわたしの世代になれば、どんどんと家族や血の繋がりの形が変わっていくだろうことも分かる。でも、結婚という約束を交わして子どもを産むこと、家庭を築くことは、大変なことで、責任が伴うことなんだな、とぼんやりと感じた。付き合う、別れるの恋愛とは全然、重さが違うんだなあと思った。

わたしはそんなことができるほど大人になって、お母さんのように自分の親が死んだとき、式場を決めて、お金の管理をして、お寺さんを呼んで、親族に挨拶をして、一家の長女として大人の振る舞いをすることができるように、ちゃんとなるんだろうか。「その人が好きだ」という気持ちだけで、全く知らない人と親族になり、家族になり、縁をつなげていくことへ、勇気を持てるだろうか。お坊さんの調子外れの歌みたいな念仏を聞きながら、漠然と不安に思った。

 

でも、やっていかなくちゃならないんだろうな。それが大人になるっていうことなのかな。きっとこうやって、身近な人のお葬式だとか、結婚式だとか、大人の目線で経験していくうちに、ちょっとずつ分かっていくものなのだろうな。

 

おばあちゃんは、いろんな親族に、「これから寂しくなりますねぇ」と言われていたけど、私の顔を見て「でも孫の結婚式を見るまでは、しっかりがんばりますよ」と笑って言っていた。私としてはそれはもう、結構なプレッシャーだけども、おばあちゃんには毎日お世話をかけてばかりなので、ほんとうに孝行しなきゃなあと思う。おじいちゃんと同じで、もう高齢のおばあちゃんとも、あとどれくらい一緒に過ごせるかわからない。元気に歩けるうちに、旅行にいったり、ちゃんと感謝したり、美味しいご飯に連れて行ったりしたい。おばあちゃんが寂しくないように、家にいても楽しく暮らせるように、毎日たくさん関わっていたい。結婚は、わからないけど、なんとなく現実味のなかった話が一気に身近なものになった気がする。

 

なんにせよ、おばあちゃんや、わたしの親や、大切な人が、人に囲まれて、たくさんの人に必要とされて、愛されて生きてきたなあと、最後に思えるように、わたしは頑張りたいと思った。

 

 

 

 

人が死ぬのは案外あっけなくて、お葬式が終わってみれば、滅茶苦茶ずっと悲しいわけではなかった。その人を思い出して楽しく食事をすることも、お葬式の一部だと知った。

だけど、人が生まれるのはオギャーと産まれて良かったね、となるくらい簡単なのに、人が死ぬのは、とても大変だということを知った。たくさんの人が、何日もかけて一人のひとを想うことは、とてつもないパワーが必要なことだなと思う。

そんなことを経験すると、簡単に人は死ぬことなんてできなくて、しっかり生きていかなくちゃいけないんだぞと言われているようだった。

 

 

 

 

 

長くなった。こんなに書くつもりではなかった。だらだらと詳細に纏まらない文章を書いてしまうのはわたしの悪い癖だ。ここまで読んでくれた人には申し訳ないけど、ただの記録的備忘録なので、わたしの自己満足として終わらせてほしい。

 

 

居間には今までドラマでしか見たことのなかった仏壇が飾られた。ちゃんとお焼香の仕方を覚えた。おじいちゃんの写真は、十年前の妹の七五三のときのものらしいけど、すごく穏やかに笑っていて、どこにいても目が合う。でも不思議と威圧感はなくて、ほんとうにやわらかく見守られているような心地がする。

 

わたしは教育実習を忌引きで二日休んだので、その分溜まっていた指導案を書かなくてはならない。お葬式から帰宅したところの今日も徹夜確定である。こんな文章を書き出したのが悪い。でもちゃんと今の気持ちを残しておきたかった。

 

明日も普通に日々は続いていく。人がひとり死んでも、そのまま続いていくし、やらなきゃいけないことは何も待ってくれない。嫌になるけど、すべてがだめになった気がして死にたくなるときもあるけど、落ち着いて、今できることを着実にやっていくしかないんだ、と思う。人生とかいうめちゃくちゃに大きな波のなかで、どんぶら流れながらゆっくり進んでいるのに、わたし達はそのことを忘れてもがき溺れていていることがあるので、たまにはふっと船の上に立って、遠い海原の先を落ち着いて見渡すことも必要かもしれない。わたしがその先の人生でしたいことはなんだ?と、漠然としながらもちゃんと見据えて考えることも、たまには必要なのかもしれない。

 

 

 

指導案を書こう。とりあえず今、目を背けている現実を見据えたいと思います。明日の昼までに完成していることを祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おじいちゃん、なにもできなくて、不甲斐ない孫でごめん。おじいちゃんの孫でよかった。どうかあっちでも、お酒を飲んで、お菓子を食べて、冗談を言って、楽しく過ごしてください。それから、おばあちゃんやわたし達がしあわせに暮らせるように、どうか見守っていてください。

おじいちゃんありがとう。お疲れさま。