ここだけの話

今から歌うことここだけの話にしておいてね

戻ることも嘆くこともない

ひとと一緒にいるということはどういうことなのだろうかとよく考える。価値観、もっといえば言葉の感覚が似ている人と一緒に過ごす時間はとても楽しい。言ったこと、伝えたことを殆ど100%に近い形で感覚も含めて共有できるから。お互いの話に耳を傾けて、わかるところ、自分が感じた同じような体験に対する同じような感情、逆に少し違ったところ、すべてわかり合えてるな、という感覚がある。ごく数人にしか出会えたことはないけど。とてもとても貴重な人たち。感覚を共有できることは、自分の考えることに対して自信になるし、同じ次元の中で、少しずらした視点としてものを見られるようになるという点でとても勉強にもなる。

だけど、そういう人が、必ずしも恋人になったり、親友になったり、一番近しい人になるわけではない。なんでなんだろうか。価値観の近い人とそういう関係になり一緒にいられれば、それに越したことはないんだろうけど、惹かれる人や、一緒にいたい、支えたい、しんどいときにどうしても私が助けになりたいと思う人は、必ずしも「価値観が同じだから」そう思うのではない。

だからこそめちゃくちゃしんどいときがある。わたしが感じるしんどさについて伝えたい、わかって欲しいのに、たとえ伝えても意図どおりには伝わらないだろうなと思う気持ち、しかもそれを分かってあげられない、と相手が余計にしんどくなるのもわかっているし、わたしが言ったことで無理矢理意識して、しんどいだろうなあと思ってもないのに仕方なく労られたり気を遣われるのも意味ない。だから何も言わないでひとりで解決するほうが早い、と思うのに、やっぱり黙っていられなくて、一緒にいるとわかってほしい、と思ってしまって、この葛藤をどうすればいいんだろう、と思ったら、結局一度離れるしかなくなったりする。一緒にいない間に、わたしが一人で自分のしんどさを受け持って消化できるようになるよう頑張って、強くなるしかない、と思ったりする。そしたら、わかってもらえなくても、全く気づいてもらえなくても、わたしは一人でやり過ごすことができるから。でもそれは、めちゃくちゃ寂しいけど。相手にわかってもらうことを諦めることだから。ほんとうは、わからなくてもいいから、受け止めてほしいなと思う。こうしたほうがいいとかじゃなくて、ただただ受け止めて、わたしのしんどさ、それをしんどいと感じるわたしの弱さを受け入れてほしいと思うだけ。

 

でも人が一緒にいる理由は、違うからこそらしい。全然価値観が違うから、ふたりは別々の人間だから、別の立ち位置で生きていて、生活してきた環境も違うし、そういう違うふたりがたまたま一緒にいるから意味があるらしい。ふたりとも合ってるし、ふたりとも間違ってるかもしれないし、でもそれを両方肯定しながら生きていけたらいいらしい。落語では、それを「人間の業の肯定」っていうらしい。

じゃあ価値観の違うわたしたちが一緒にいることには意味があるのかなあと思う。わかりあえなくてしんどいと思っても、しんどいのは当たり前で、まあ違うよねって、違うからこそ、なるほどなあ、大変だなあ、たしかにそれはしんどいかもしれないなあ、頑張っててえらいなあって、ふたりともがふたりともをわからないなりに肯定して受け入れられたらいいのかな。

 

わたしはさっき、わからなくてもいいから、受け止めてほしいと思う、こうしたほうがいいとかじゃなくて、それをしんどいと感じるわたしの弱さを受け入れてほしいと思う、と書いたけど、それはわたしが、価値観が違う相手に対してできてなかったことなのかもしれない。相手にもっとうまく生きていってほしいと思ってしまうからこそ、わたしが思う価値観でこうしたらいいんじゃない、って言いたくなってしまうけど、またそれは価値観が同じ人に対してはとても実のあることなのかもしれないけど(実際に価値観が同じ人に言ってもらえるアドバイスはとてもすんなり腑に落ちる)、それは価値観の違う相手にとってはしんどいだけかもしれない。もちろん、大前提に「こう変わりなさい」って言いたいんじゃなくて、どんなしんどさを抱えるあなたでも好きで、少しでも楽になって欲しいと思う気持ちがあることは抜かしてはならないけど。

 

いろいろぐるぐるしてる。わたしが弱いのは、そういう葛藤を一人で解決しなくちゃいけないのに、相手にまでぶつけてしまうところ、ちゃんとなににしんどさを感じてるのか説明してないのに、ひとりで爆発して巻き込んでること。でもわりと限界だったの、ひとりで強くなろうと思ったけどむりだったの。くるりの虹をたぶん今日だけで150回くらいずっと聴いてる。ぜんぶわたしが弱いせいだから、今のわたしの愚行のせいでどうなってしまっても、戻ることも嘆くこともないのだ。戻ることも嘆くこともする資格なぞないのだ。自業自得なのだ。

 

昨日ひねった足首がずっと痛い。足首じゃなくて、ふくらはぎから太腿までの筋が痛い。力が入らない。ひさしぶりに身体の痛みを感じる。身体の痛みを感じるほどの運動を最近なにひとつしてなかった。「右足の痛みがなくなんないままで加速してゆく日々の中」だなあ。右足じゃなくて左足だけど。

昼夜逆転生活がずっと治らない。夜勤が終わって、4時頃寝て、そしたらやっぱり14時くらいまで起きられなくて、ちゃんと動き出すのが16時からとかで、そこから夜中の3時頃まで集中力が続く時間が来るけど、世間との生活サイクルが違いすぎて、その時間でちゃんと集中する環境が作れない。普通の人とのサイクルも違うから、周りに合わせていると、一番集中できる時間に一日の終わりの休息タイムが重なって、ごはん食べたり遊んだりして、1時とかの常人の寝る時間に全く寝られず無為な時間を過ごして、やっと4時頃眠くなって寝たらもう次の日の昼14時だ、みたいな、一日何もできなかった、絶望、みたいなのが続いてちょっと精神によくない。自分で決めたこと、なんにも成し遂げられてないのがよくない。昼夜逆転を治すのはもう諦めた。夜中に集中できるようにするぞ。

 

なんのまとまりもない文章だな。鴨川にずっといる。大雨。こんな時間でも土曜日の夜だから何組かカップルがいる。四条大橋の下は暗いけど、三条大橋付近はわりと明るい。疲れた。でもどこにも帰れなくて、帰る気になれなくて、勉強して、疲れた。日が昇るまであとちょっと、始発まであとちょっと。夜中でも、都会だから、居場所はどうにでもなる。どうでもよくなればどこでもある。でもわたし自身のことはどんなに逃げてもどうにもならないから、はやくだれか助けてほしい。とか言ってみる。言うくせに今どうしても人と関わるのが億劫で恐い。人と関わったり人の感情を請け負う余裕がなさすぎる。ごめんなさい。人はつまるところ他人に興味なんてないんだから、自分で助かるしかないのは分かってる。強くなりたいなあ。